きょなん歴史点描

(連載5)

大崩と星の神

 

 大崩村は江戸初期に佐久間村から分村。名の由来は、やはり大規模な山崩れがあったようで、八雲神社正月の竹飾りを毎年切っている竹林で土砂が止まった、神のご加護と言い伝えられました。  

 八雲神社は天形星神という星の神をまつる神社。平安時代、安房国主の源親元が赴任してきた時、北山に北極星がかかるのを見て、天形星神をまつり、その後、山上からこの地に移されました。 

 大崩とはちょっと不吉な地名と思うかもしれませんが、実は星の神に守られた特別な地域なのです。

笹生浩樹(菱川師宣記念館館長)


(連載4)

源 頼朝(みなもとのよりとも)

 

 治承4年(1180)、伊豆で流人生活をしていた源頼朝がわずかな味方と挙兵。石橋山の戦いで平家方に敗れ、海路この安房国竜島に逃れました。敗残の将頼朝を竜島の人びとをはじめ安房の豪族らは親身に迎え、援助し、頼朝はこの地から再起の一歩を踏み出します。
 このたびの被災は竜島を含め安房地域に大打撃を与えました。頼朝再起の地となった鋸南町。今度は私たちが復興への再起の一歩を力強く踏み出しましょう。


 笹生浩樹(鋸南町在住)


 

(連載3)
歌川広重(うたがわ ひろしげ)

 

 風景画で知られる浮世絵師、歌川広重は房総を旅行し清澄山、小湊誕生寺、鋸山日本寺などをめぐり、鋸南も通りました。
 この旅のスケッチをもとに、広重は多くの房総風景版画を描きました。
 特に保田から見る富士のすばらしさに感動し「富士三十六景・房州保田海岸」を描いています。
                           笹生浩樹(鋸南町在住)


(連載2)

 武田石翁(たけだせきおう)


 江戸後期に安房の名工として知られる武田石翁は、石彫りの達人として多くの作品を残しました。
 元名村(鋸南町)の小滝寛三に石工として弟子入りし、婿養子になり才能を開花。晩年は黒蝋石による龍、獅子、神像などの置物や根付に緻密で芸術品を手がけました。
 80歳で亡くなる直前に彫った狂獅子根付は逸品です。

 

笹生浩樹(鋸南町在住)


(連載1)

 江戸後期の俳人、小林一茶は房総へたびたび訪れています。俳諧流派・葛飾派は房総に門人が多かったためです。
 鋸南では元名の岩崎家や勝山の醍醐家などの名主宅、大行寺や浄蓮寺にも滞在。勝山では鯨見物をしたと日記に書いています。
 〈阿羅漢の鉢の中より雲雀かな〉は一茶が鋸山で詠んだ句。鋸山大仏参道に句碑があります。

 

笹生浩樹(鋸南町在住)